猫屋敷.com釣りキチダンナと猫キチニョーボが猫屋敷を舞台に繰り広げるドタバタ日記

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何故九州四国編ではなくて四国九州編なのか?・・・それは先に四国に行ったからなのだ。 | 釣りキチダンナと猫キチニョーボが猫屋敷を舞台に繰り広げるドタバタ日記

2001年5月3日

雨の後なので水量あります。
沈下橋
松山に渡る始発のフェリーに乗るため広島港へ向かう。フェリー乗り場に着くと数台のバイクが留まっていたが、旅をするような雰囲気じゃ無さそうだ、おそらく帰省か何かだろう。自分のバイクだけが荷物を積み上げ、旅人のオーラを放っている。出航が近づくと、まずバイクがフェリーの中に誘導される。フェリーの隙間に詰め込んで1台でも多くの車を積むためなのだ。おかげで最初にフェリーに乗ることができ場所とりが有利になるハズだが、甲板好きなんであまり関係なかったりする。今日は朝早い出発だったので少し寝たい5月の早朝に甲板で寝るにはチョットつうか、かなりキツイ。なるべく目立たない様に椅子席の最前列の角場所に陣取りフェリーが松山につくまで仮眠をとることにした。松山観光港に着くと、今にも降りそうな曇り状態で、何処かで合羽を着ることを覚悟してしまう。松山市内の渋滞を避けるため空港方面に進み、旧道を通り伊予市に抜けて国道に合流する。少し走ると道が上り勾配となり山道に入って行く。山に入って行くのはイイのだが、すれ違うライダーが皆合羽を着ている。内子の道の駅で休憩してると、反対方向からバイクがやって来たので聞いてみると、奥の方は結構降ってると言う。海沿いを走ろうかとも思ったが、今日の目的地四万十が遠くなるのでやっぱり山入りルートに!日吉村方向に走り出すのだった。確かに降ってたようだ、路面が濡れている。・・・が日が射してきて回復しそうな雰囲気だ、合羽を出さずに済みそうだ。日も高くなるとバイク率がたかくなりピースサインを交わしたりすると一気に気分は盛り上がってくるのだ。さすが南国に近づくと違う?江川崎に出ると四万十川を見ることが出来た。前日までの大雨でかなり増水があり、桁下まで水が押し寄せて来ている。橋脚部では脚が増水の抵抗を受けて捲れ上がっている。すると集落から地元車が沈下橋を渡って来た!ここいらの沈下橋はほんまに生活道と使われている。生活道なんで夜なんかも此処通ったりするんかなあ、沈下橋なんで高欄も無ければ道幅も当然狭い、川に沈んでる車も少なくはないんじゃなかろうか。右手に四万十川を見ながら大正町方面に進むと両岸を結んで鯉のぼりの大群が泳いでいる。さすがにGWやなあとか思いながら自分も四万十川を遡上して行く。大正町につき酒屋を探すと一軒目でダバダ火振りを発見する。火振りは鮎漁の時に使われる鮎を追い込む道具なんだろうけど・・・ダバダってなんだろう?ダバダも購入したし、四万十川を下るように太平洋を目指して行く。
スズキに近いですね〜カッコイ〜
アカメ
四万十にはアカメがいる!アカメとはその名のとおり目が真っ赤に輝くことから名付けられた魚で、大物になると2メートルを越し、重さ150キロという熱帯性汽水魚なのだ。昔の漫画で釣りキチ三平(当時はこのタイトルでもOKなのか?)というのがあって、四万十にやって来た主人公の三平くんが2メートルはあろうかという大アカメ、通称「潜水艦」をなんと!釣り上げてしまうのだ。この漫画を読んで、初めて四万十川という日本最後の清流を知り、そこに書かれている自然や雰囲気とかに憧れを持ったのを思い出した。居るかもしれないね潜水艦!四万十川を見てたらそんな気がしてきた。中村市から更に下流を目指すと太平洋に出る。しばらく、河口で四万十を旅してきた水が太平洋に出て行くのを見ていると携帯にAさんからメールが届く。沖縄の海と風の宿で6連泊中、毎日泡盛飲んでマッタリしてます。・・・俺も今夜、ダバダでマッタリしてやる〜。

2001年5月4日

フェリーは良い!休んでいても進んでいる。
四国から九州へ
フェリーで宿毛から佐伯に移動中、Oさんからメールが届いた。Mさん夫婦が昨日長崎を訪れました!現在天草方面から阿蘇を目指しており、坊中キャンプ場に向かう見込み襲撃せよ!とのことだ。天草廻って阿蘇なら坊中キャンプ場は夜遅いだろうと思われた。明日の朝早めに出発して坊中キャンプ場に向かうことにして、今日は高千穂のほうまで行ってみるのだ。フェリーを降りると国道に出て延岡方面を目指す。途中、日向街道にスイッチし山深い方に入っていくのだ。宇目町付近で”トトロ”のバス停に入っていく案内看板を見つける。トトロのバス停がある事は聞いていたがこんな所にあるとは思わなかった。当然行ってみることにする。トトロという地域のバス停に、熱心なファンがトトロに出てくるキャラクター達の看板を持ち込んだのがキッカケで、今ではチョットした村おこし的観光地になっている。
トトロ
トトロ
まあ、こんなんも有りだろう」と思った。こっちの県道のほうが早いだろうと更に山奥に迷い込み、ちゃんと地図を見ればいいのだが面倒くさくなり、案内看板も知ってる地名を勘で選び更に迷ってくる。それでも何とか高千穂への道を発見、県道8号線に出たらしい。途中竹田湧水群で水分補給し、後は日が暮れないうちに高千穂YHに入り込んでしまえばいいか。GWなので宿泊者も多いだろう。何処かで風呂に入っておいたほうが良さそうな気がする。チェックインする前に天の岩戸温泉にでも行ってみることにしよう。

2001年5月5日

阿蘇が大渋滞だったので今回は米塚です。
米塚
YHの朝食を食べて、すぐに出発する。高千穂峡入り口の前を通ると既に駐車場は満車状態を知らせる案内が出されていた。まあ、予想通りなので、そのまま阿蘇方面に向かう事にする。蘇陽町から高森峠を越えて阿蘇山の南から登山道路吉田線を登って行くのだった。吉田線を登りきり、右折すると阿蘇火口なのだが、もう既に大渋滞が起こっていた。ここも予想してはいたが・・・今日は火口まで行く気にもならず左折して反対方向へ草千里に向かう。草千里で休憩しようと思ったが人出も多そうだし何か落ち着かないので、そのまま走り抜ける。景色を楽しむ為速度もヌルく走って行く、まあ交通の流れ自体がそんな感じだし、気を抜きながら阿蘇を下って行くのだった。坊中キャンプ場に着いたのが午前十時頃で「少し遅すぎたかな、もう出掛けてるだろうな!」と思った。駐車場にCD125は停まっておらず、キャンプサイトのほうを探しに行くが見つからず。百リットル積みのバイクなんだから直ぐに見つかるだろうと思っていたが・・・「もう、出ちゃたんだろう!」と諦めて駐車場に戻ると、Mさん夫妻がバイクで出掛ける準備をしていた。メールやHPでは良くやりとりしているけど、そういえば初対面なのだ。と言う訳で初対面の挨拶を交わす。「こんちわ〜、こないだはどうも!そういえば初対面でしたっけ。キャンプ会で誰かの携帯使って話したんですが、実は酔っぱらってて、あまり覚えてないんですよ!はっはっは」しばらく今回の旅の途中経過とかの話しをしたりするのだった。Mさん夫妻はタンデム用のトランシーバーを装着してる。これは便利!というか面白いアイテムだなと思った。タンデムで話ししながら旅をするってのは面白いに違いない。自分もやってみたいが、まずタンデムする相手を捜さなければならない。そうして三隅さん夫妻は阿蘇山を登って行った。別れ際にMさんが「小豆島で会いましょ〜う!」「えっ・・・」小豆島キャンプ参加が決まってしまった。それじゃあ自分も出発する事にしよう。今日は国東半島までもどっておいて、明日早い便のフェリーで徳山に渡るのだ。

2001年5月6日

石仏みてました。
国東半島にて
国東から徳山に渡るフェリーの中で考えた。あれMさん、今日大阪行きのフェリー乗るんだ・・・着くの明日じゃん???そしてフェリーは徳山に着く、後はひたすら国道2号を帰っていった。

5月7日にMさんからメールが届く「CD125にて会社に直行しました!」・・・やる〜!

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