新たなる旅立ち!今行かずして、何時行くのか?
2000年7月28日
関門橋
それにしても台風来てるな、今考えてるルートだと直撃するかもしれない。ルートを変更することも考えたが、走れる所まで走って何処かで台風をやり過ごす作戦。29日出発の予定を半日早めて、28日の正午に出発する。午後からだと下関あたりまで行けるだろう。只ひたすら国道2号を突っ走る。あと30キロという所で関門橋が見えはじめる。これ渡ったら九州だなあと思い、静かに燃えた。それにしても風が強い。やっぱり台風は近づいているのだろう。明日の降水確率も80%だし・・・下関YHに逃げ込んだ。夕食まで時間あるんで火の山公園に行ってみた。巌流島が見える。あそこで我が師匠アントニオ猪木が戦ったのだと思うと頭の中を「猪木ボンバイエ」とテーマソングが流れていった。
2000年7月29日
蛇踊り
朝の天気予報で台風が殆ど進んでないことを知り、先に進む。
いつ台風の影響が出始めるか解らないので高速道路を使い先を急ぐ事に。セローなんで高速キツイ。時速90キロ位で走行車線を小さくなって走っていく。佐世保で高速を降りて佐世保市内を抜け、九十九島を眺めながらのルートで最西端の地へと進んで行った。最西端の地を示す看板を左折し小さな漁村を抜けて行くと、綺麗に整備された公園があった。公園には日本の形を象ったモニュメントがあり、東西南北の四極の位置を示してある。他の四極と違いお土産屋もなく、ひっそりあるのが良い印象だった。公園を海岸に降りて行くと最西端を示すモニュメントがあった。今回の目的の一つを達成!ここで昼飯にしよう。下関YHでおむすびを頂いていたのだ、おむすびの包みを広げると「下関の夜景はいかがでしたか?今日は雨になる前に長崎までいけるといいですね。無理をせず、楽しい旅を続けて下さい。」と書いてあった。腹も胸もいっぱいになった。長崎に向けて急いでいく、長崎のOさんがグラバー園で蛇踊りを演じているのを見にいくのだ。昨日電話して、最終公演が4時と聞いているので3時半くらいには着きたい。また高速を使う。今日は忙しい。長崎市内で多少迷ったが何とか間に合いグラバー園の会場へ。まだ30分位あるのでOさんに面会する。蛇踊りの衣装に身に着けたOさんは凛々しかった。しかも先頭だ、つまり蛇の頭の所を担当してる。「すげー!あれってかなり重いよな。」とか思ってると、4時になり蛇踊りが始まる。蛇踊りは日本三大祭りの一つとして360余年の歴史と伝統を誇る「長崎くんち」の奉納踊りに使用する豪華絢爛な出し物で、かなり面白い是非見に行くべし。グラバー園一帯は、その昔、外国人の居留地だった所で、園内には、当時からの洋館や市中から移築復元された由緒ある洋館が点在し、在りし日の面影を現在に伝えている。Oさんの仕事が終了。チャンポンを食べに連れていって貰った。さすが本場メチャうま、他県でチャンポン食えない。飯後、花火大会に行く。最近旅に出ると祭とか花火とかに良く出くわす幸運さだ。その後、長崎見物に連れて行って貰った。長崎はきれいな街で観光施設も整っているし、観光の街としても力入っている。是非行かれたし!それにしてもOさん有り難う。いずれまた逢いましょう。
2000年7月30日
島原城にて
いよいよ台風が来るらしい。しかも直撃!長崎に夕方上陸だから、昼まで走る事にしよう。
何処まで行けるのやら?長崎から雲仙方面へ天草に渡るためにフェリー乗り場(島鉄フェリー)へ行ってみた。欠航!「まあ、そりゃそうか」島原YHに逃げ込む、荷物をYHに放り込み島原観光に出掛ける。雨はまだ大丈夫、とりあえず島原城へ行ってみた。島原城は廃城し、現在は復元されたものだが綺麗な名城だ、城内はキリシタン資料館、北村西望記念館、観光復興記念館となっており、島原の歴史と文化を伝える施設となっている。島原城の近くには武家屋敷があり、古い石垣やわらぶき屋根と白壁の家々が軒を並べる。江戸時代の武家の生活がしのばれ、通りの中心を流れる水路では、湧水を生活用水として利用していた当時の名残が感じられた。雲仙普賢岳の災害の舞台となった水無川へ行ってみた。水無川の改修工事も完了し、土石流被害地も宅地されている。普賢岳噴火災害復興が進み人も街も暮らしも、次第に活気を取り戻している事にホッとした。
2000年7月31日
船待ち(牛深港)
台風一過で快晴とはいかず、台風が引っ張ってきた雨雲が九州全土を覆っているような状態だ。出発時から合羽・ブーツカバーを装着し、荷物にカバーを被せ出発する。只ひたすら雨の中を突っ走る。島鉄フェリーで天草に渡り、更に天草から鹿児島に渡る。それにしても雨が激しい。雨仕様のフル装備で走ってるので、そんなに不快ではない、むしろ涼しくて快適だ。ただ天草の景色を見れなくて残念だ。牛深港に到着しフェリー乗り場に行くと係の人が近づいてきて、「今、欠航中なんだよ!たぶん15時の便から運航出来ると思うよ」。ガーン、あと三時間もあるやん。陸路を廻っていく事も考えたが雨も降ってるし、大人しく待ってる事にした。とりあえず合羽を脱いでリラックス!ボーとしながら考えた。「船出んかったらここで野宿しよう。」15時になり欠航していたフェリーが動き出した。結局先に進む事にする。鹿児島港まで走って明日屋久島に渡ろう。明日、船出るのかな。
2000年8月1日
屋久島の森
降り続いた雨もあがり薄日が射している。鹿児島港で屋久島行きの切符購入する。ここ3日位台風の影響でフェリーが運航していなかったようだ。(ナイスタイミング)
夏休みなので家族連れや登山客が多くて、バイク乗りは5人ほど。1ヶ月に35日雨の降る屋久島だ、わざわざバイクで上陸することもないのだが、此処まで一緒に来たのだから置いて行けない。台風の後なので「大荒れの航海」を覚悟したが、波も高くなく、そんなに揺れなかった。フェリーは順調に屋久島を目指している。やがて屋久島が見えてくる。否が応でも気分は盛り上がり、「世界遺産」のテーマソング「ソングオブライフ」が頭の中を駆けめぐる。
大川の滝
定刻どおりに屋久島に到着。雲行きが怪しい。屋久島だどうせ降るんだろうと、最初から合羽を着込み半時計回りに島を廻ることにする。海亀の産卵地で知られる「いなか浜」を過ぎ屋久島灯台へ行ってみる。竿ケースを装着したバイクが停まっている。ここがポイントなのだろう。屋久島灯台付近から西部林道になる。林道と言っても舗装され島を一周する道路として使われている。が、結構狭く木片や落石があり気分よくかっ飛ばすという訳にもいかない。しかも猿!ヤクサルが道路に出てくる。中には道路の真ん中でノミ取りをしている。トロトロと景色を見ながら、「サルだサルだ!」とたまに出てくる猿を避けながら走っていった。西部林道を抜け、大川の滝を見物する。大雨の後なんで大迫力で、備え付けの椅子やテーブルが水に浸かってる。島の裏側まで来た。天気は今一なんで見えないが、ごく希にトカラ列島まで見えるらしい。ここで旅の疲れを癒すために尾の間温泉に行く。尾の間温泉は公衆浴場で料金は二百円と安く泉質もすげーヌルヌル。湯の温度も高く疲れもいっぺんに取れていくのだった。
2000年8月2日
苔
薄日が射す、晴れるのか今から雨が降るのか、どっちかわからん天気だ。いちかばちかヤクスギランドへ行くことにする。まず、道路沿いから見る事の出来る紀元杉に行ってみた。先端は枯れているが、下側から見るとまだ元気に見える。着生が多いのが特徴で、杉なのに秋には紅葉して見えるそうだ。紀元杉から少し戻ってヤクスギランドへ此処で雨が降りだし、合羽を着用してヤクスギランド内へ入っていく。やがて大雨になる、散策どころではなくなって母子杉の所で引き返した。それにしてもヤクスギランドって結構キツイ、名前からしてお気楽なのかと思ってたら大違い。(侮りがたし。)下までおりて合羽を脱ぐと、合羽に山ヒルが引っ付いていた。危ねえ、吸われる所だった。合羽からヒルを引っ剥がすと、鎌首上げて怒っていた。気色悪い。天気予報を調べると明日は曇りで降水確率も幾らか低い、明日縄文杉に逢いにいこう。
2000年8月3日
トロッコ電車
朝5時、縄文杉を見に行くため、荒川登山口へバイクで登ってく、あいにく雨が降ってる。もうすでに合羽装着済みである。登山口到着、雨は小降りになり、さほど気にならなくなったが、今日合羽を脱ぐこと出来ないだろう。ほとんど勾配のないトロッコ道を歩いていく、その昔木材運搬の基地となっていた小杉谷で休憩する。展示してある写真を見てビックリ、雪の中での写真があった。「此処って雪降るんだ!」上の方は降るだろうと思ってたんだけど。
相変わらずトロッコ道を歩いていく、枕木と枕木の間が結構深い水たまりとなって、それを避けて通ろうとすると歩幅が合わず歩きにくい。はなっから水たまりに入っていくようにして歩幅を合わせた方が楽なようだ。
縄文杉
大株歩道に入り本格的な登山となる。手にはグローブをはめ、手も使って登っていく。やがてウイルソン株に到着する。中は大きな空洞になっており、湧き水や山の神を祀る社まである。ここら辺から山が深くなっていく。苔だらけというか緑一色という感じで、まさにもののけ姫の世界だった。登山道は屋久杉達の根っこが複雑に絡み合い歩きにくい。やがて階段状の木道になる。これは登山客の足跡から屋久杉の根っこを守るためで、大株歩道は殆ど木道になるのではないかと思われる。大王杉が見えてきた。真っ直ぐ延びた大木は大王の名に相応しく威厳があり、大きく開いた枝と大きく開いた口で登山客を見おろしていた。しばらく歩くと展望デッキが見えてきた。やっと逢えた!縄文杉はどっしり構えてこちらを見ている。ゴツゴツした表面は想像できないような年月を生きてきた証と思え、それを想像しようとすると気が遠くなりそうだ。この大きさ太さで地に隠れた根の部分まで考えるとメチャクチャでかい生き物が此処にいる。逢いに来てよかったと本当に思った。すると、巨大な生き物の後ろからヤクシカが現れしばらくこっちを見ていたがやがて去っていった。まるで縄文杉の使者が現れた様な感じがした。登山道入り口まで戻ると日が暮れようとしていた。麓までもどり天気予報を確認すると、あと二日で屋久島付近に台風が接近するらしい。明日はゆっくり釣りでもしようかと思っていたが、本土に戻っておいたほうがよさそうだ。三日間だけだったが結構屋久島を楽しめたと思う。次の目的地に行くために荷物をまとめる事にしよう。
2000年8月4日
船が来た〜
快晴!島を去る前に平内海中温泉に行くが干潮の時間と合わず。湯泊温泉に行くことにした。看板もなく地元の人に聞きながら湯泊の海岸に到着する。潮の満ち引きに関係ない位置にあるが、こちらも海のそばでなかなか良い。しかも観光客も来そうにないのがいい。少しヌルイので長く入ってられる。船の時間を計算しながらだが割とゆっくり出来た。風呂から上がりフェリー乗り場に向かう。やっぱり風が強くなってる。おそらく今日帰るのは正しい選択だったのだろう。フェリー乗り場で焼酎「三岳」を3本ほど購入し船に乗り込んだ。
2000年8月5日
桜島 開門岳 |
晴れ!最後の目的地である最南端に向けて出発する。朝早いので交通量少く良いペースで進んでいく。後ろに桜島、右に開聞岳がよく見えている。
宇宙空間観測所
佐多岬ロードパークを駆け上がり到着。これで日本本土四極達成!(ライダーなら端っこ目指さねば)最南端モニュメントの前で記念写真を撮り佐多岬を去っていった。大根占まで戻り内之浦のロケットセンターへ向かう。台風の影響で、だんだん荒れてくる太平洋を見ながら走っていくと、やがてでっかいパラボラアンテナが見えてきた。名前がいい「宇宙空間観測所」なんか分かんないけどカッコイイ。受付で名前を書くだけで中に入ることが出来た。しかもバイクに乗ったままで中を見て回ってもいいのだ。とにかく全部デカイ、テレビで見てるだけでは解らなかったが、こんな巨大なものが空を飛ぶとは。種子島もいいなあ。
2000年8月6日
鉄橋
日南海岸を北上する。凄い波だ、結構サーフィンしてるけど大丈夫なんだろうか。サーファーって台風来ると燃えのかなあとか思いつつ、宮崎を過ぎて行く。今日は久々に高千穂YHに行ってみよう。ここで問題が!昼飯を食い終わってバイクに戻ってみるとサイドバックから何か漏れてる。ガーン自炊道具の中の油の蓋が取れてダーダー漏れしてる。慌てて新聞で油ふき取る。アーッ帰ったら全部洗わないかん。昼過ぎには高千穂到着、宿に入るには早い。しかも今日は日曜で観光地ゲロ混みだろう。そこら辺ブラブラと天の岩戸温泉で時間を潰すことにする。天の岩戸温泉で一時間ほど時間を潰し宿に入り込む。YHから見る渓谷は、西日を受けてとても綺麗であった。上の鉄橋を電車が通り過ぎていき、なんか風情があった。
2000年8月7日
佐賀関港にて
今日で九州ツーリングも終了だ。(広島に帰る。)佐賀関に抜けて国道フェリーに乗船する。なるべく安くそして楽なコースをとる。佐賀関港から佐田岬の途中にある三崎港へ上陸し、瀬戸内海沿いを松山に向かっていく。堀江港から阿賀港に上陸し呉をとおって広島市へ帰っていった。昔は、別府港から広島港に行くフェリーがあって楽だったんだけど・・・これで九州編終了です。それではまた!